【ラボアジェのペリカン実験】
ラボアジェは早くに母を亡くし父親の愛情で育ちました。そんな父はパリの弁護士だったためにラボアジェは後を継ごうと決意し大学で法律を学びました。
しかし、高校のときに天文学に影響を受けていたために科学への道を捨てきれずに、地質学者等につき各地を旅行したのでした。
25歳のとき彼は実験室をつくりました。この時彼は民衆から税を取り立てる徴税請負人という仕事につきました。この仕事は儲けも多く実験費で困ることはありませんでした。
そしてラボアジェが一番初めに行った実験は『ペリカンの実験』です。動物のペリカンを使っているわけではなくペリカンという容器を使った実験です。
この時代、ガラスの入れ物に蒸留水を入れて熱すると底にカスが残るのは、水が土に変わったという考え方がされていました。なぜならばこの世の物が少しの元素が結びついてできていると考えられていたためです。
しかし、そんなはずはないと思ったラボアジェはペリカンというガラス容器に蒸留水を入れてカラカラになるまで熱し続けました。そしてできた中のカスの質量が容器の減った分の質量と同じことがわかったのです。
こうしてカスはガラスの成分が溶け出したものだということを証明したのでした。
【酸素の発見】
当時、フロギストン説といって、物が燃えたりさびる原因はフロギストンという元素が物質から抜けるためだと思われていました。しかし、ラボアジェはその説に矛盾を感じたのでした。その矛盾とは物質から元素が抜けたあとは物質が軽くなるはずなのに、燃えた後の物質を調べてみると、燃える前と比べて重くなっているのです。物質から元素が抜けたというのに重くなるはずがないからです。
ここでラボアジェは元素が抜けるのではなく、増えるのではないだろうか?という説を立てたのです。しかしその元素が何かはわかりませんでした。
そこに手を差し伸べたのはイギリスの化学者であるプリーストリでした。彼は「水銀を空気中で熱したときにできる赤い色の水銀を真空で再び熱すると、物をよく燃やす気体が発生する」ということをラボアジェに教えました。
ラボアジェはその発生する気体こそが結びつく元素であると確信したのです。
それから研究を重ねてラボアジェはその元素が『酸素』というもぼであることを突き止めたのです。
そしてこの発表はフロギストンという元素がこの世にないことも証明することになりました。科学者たちは考えをひるがえされたのです。
【質量保存の法則】
ラボアジェはその後に「それ以上ほかの物質にわけられないもの」を『元素』として33の元素を発表しました。その中にはいくつか元素ではないものも含まれていましたが、ほとんどが確かなものでした。
またラボアジェは化学の教科書もつくりました。その中には「化学反応の前後で質量は変化しない」という『質量保存の法則』が記されていました。
この法則は現在も化学の基本とされている重要な法則なのです。
この後、フランスはフランス革命に入りました。そこでラボアジェは革命政府に協力してメートル法をつくったり、徴税請負人としてうらみをかってしまい牢に入れられた後に処刑となってしまいました。 |