【妻・マリーキュリーの誕生】
キュリーはロシアに占領されていたころのポーランド生まれです。家庭教師を勤めつつ姉の医者となるための資金と自分の生活費を稼ぎました。そのかたわら自然現象の研究も進めていました。24歳のときにパリの理科大学で先輩のピエール・キュリーと結婚しました。
【レントゲンの発明の隅から】
レントゲンがX線を発表しました。そしてフランスのベクレルがウランの化合物はX線の一種だと発表しました。そのことに興味を示したキュリー夫妻は放射能を含む鉱物『ピッチブレンド』の研究を始めたのです。
やがて1898年に12月にラジウムという新元素をピッチブレンドから発見しました。ごくわずかな量だったので研究するにはもっと大量のラジウムが必要ということでピッチブレンドからラジウムをとる作業が続けられました。
このこともあり、1903年に夫妻はノーベル賞を受賞しました。
【夫がいなくとも・・・】
受賞の3年後に夫ピエールは交通事故でこの世を去ってしまいました。悲しみを乗り越えてキュリーは第一次世界大戦でX線診察者で救護活動を行いました。また夫妻の1人娘であるイレーヌは人工放射能の発見でノーベル賞を受賞しました。
放射能界で貢献したキュリーはたくさんの放射線と暮らしてきたために67歳でこの世を去りました。 |