【エジソンの誕生】
『エジソン』という科学者の名前を知らない人はいないでしょう。科学者といえばと聞けば『エジソン』と答える人も少なくはないと思います。なぜかエジソンは科学者の中では特に有名です。
そんなエジソンは1847年にアメリカの材木商として生まれました。
エジソンは子供のころから知りたがり屋でした。しかし勉強は大嫌いで学校を三ヶ月でやめてしまうほどでした。勉強の方は元教師だった母親に教わりました。
とにかく勉強は嫌いでも科学は好きで、かなり難しい科学の本を読んだり、自分で実験をしたりして科学を楽しむのでした。
エジソンが12歳のとき町に電車が開通しました。エジソンは列車内で食べ物などを売る『売り子』の仕事をすることしました。そこで得たお金はもちろん本や実験費にあてたのでした。
【通信士としての活躍】
エジソンが14歳のときに南北戦争が始まりました。そんな戦争のときはテレビやラジオなんてないので通信手段はモールス信号でした。
エジソンはある日、汽車にひかれそうになった子供を助けました。そのお礼に子供の親からモールス信号の手ほどきを教わることができたのです。それをきっかけにエジソンは通信士になったのです。
実はエジソンは耳が不自由で人間の会話を聞き取ることが困難でした。しかしモールス信号の音は聞き取ることができました。
通信士となったエジソンでも、小さな発明は続けるようにしていました。そうして17歳の時に一番初めの発明となる『自動電信中継機』をつくったのです。
エジソンが21歳のとき『電気学の実験的研究』というファラデーの本を読んでからはエジソンも電気の発明をするようになってきていました。
誰も思いつかないような発明をいくつかしてきたのですが、どれもお金にはならないで借金のみがたまっていきました。
そこでエジソンはニューヨークにでて一から発明家をやり直そうとしたときの発明品『金相場表示機』の改良品がヒットしたのです。
エジソンは手にしたこともないような大金を得たのです。エジソンはその大金で自分の実験室と工場をつくり、優れた技術者を雇ってさらに発明を進めていったのです。
【魔術師となったエジソン】
ある日エジソンは子供に人形のおもちゃをつくってあげたのです。話しかけると動くというおもちゃでした。エジソンはその人形を見てこう思ったのです。『話す機械がつくれないものか・・・。』と。
エジソンは早速、話す機械の設計図を書き上げたのです。エジソンは大声でメリーさんの羊を歌いながら話す機械のハンドルを回したのです。エジソンが歌い終わり、ハンドルを回すと、なんとエジソンの歌声が小さい音でしたが話す機械から流れたのです!この話す機械は『蓄音機』と名づけられたのです。
普通、思いついてから実験をして1回で成功する科学者は滅多にいません。しかしエジソンは話す機械を1回の実験で成功させたのです。
このことでエジソンは有名となり『魔術師』と呼ばれるようになったのです。
【工夫を凝らした白熱電球】
エジソンが一番苦労した発明。それは白熱電球でした。
その時代の電灯というのはガス灯やアーク灯でした。エジソンは電気で安く安全な電球をつくりたいと思い発明に乗り出したのです。このとき他にも何人かの科学者が同じ発明に取り組んでいましたが誰も発明することはできませんでした。
白熱電球はできたのですが、問題がありました。それは中の光る部分(フィラメント)に電気を流すとすぐに燃え尽きてしまうのです。
さまざまな金属をためしましたが、結果は同じで非常に短いものでした。しかし、ふとしたことからエジソンは炭素のことを思い出して、もめん糸を炭にしてフィラメントとしたのです。すると電球は40時間も光り続けたのです!
エジソンはこのことから強い繊維がよいことを得たのです。世界中から強い繊維となるものをたくさん集めて実験してみました。
その集めた中でも、日本の京都の竹の繊維はとても強く900時間も電球がともったのです。エジソンはすぐに会社を設立しました。ただ電球の生産だけではなく、電球をはめるソケット・電球をともらすための電力供給までを受け持つ会社としたのです。
これは大成功でニューヨークはエジソンの作った電球で明るく照らされたのです。
この大発明でエジソンはパリで開かれた電気展で名誉賞を受賞することができたのです。
そのときにエジソンは記者のインタビューに対してこんなことを言いました。
『天才とは1%のひらめきと99%の努力によって生まれる』という言葉を。 |